事件の背景
リンゼイ・アン・ホーカー(写真)は、リーズ大学で学び、2006年10月より海外で仕事をするために、コベントリー近郊のブランドンにある我が家を後にしました。ノヴァの小岩校での語学講師として勤めるため、彼女は東京へ行きました。雇用主によると、彼女は仕事に対して、また「日本に慣れるため」に一生懸命努力をしていたと言います。
ビル・ホーカー
リンゼイはイギリスに残る友人や家族と、Facebookウェブサイトを利用してやりとりをしていました。最後の記述となる3月20日には、次のように書き込まれています。
「大好きよ。家まで追っかけてきた男のことは心配しないで、日本の変なところだから。あなたに会いたいわ」
リンゼイと市橋達也容疑者とが一緒に喫茶店にいる姿をはっきりと映している CCTVの録画映像が公開されました。報道によれば、これは3月25日 日曜日に撮られたもので、当初述べられていた日よりも一日後にリンゼイが殺人鬼と会っていたことがわかります。店のスタッフは、彼らが1時間ほどいて、その間は英語のレッスンが行われているようだったと言っています。映像の中でリンゼイは、膝丈の白いコートを身につけ、繰り返し髪に手を触れています。この時、彼女には数時間の命しか残されていなかったのです。その後、リンゼイが市橋達也容疑者と、東京郊外の千葉県市川市にあるマンション4階の一室に行ったと考えられていますが、理由はいまだ不明です。
リンゼイは自宅に、彼女がどこへ行くのかを書き留めており、市橋容疑者の住所を訪れた警察が、部屋のベランダに置いてあった砂でいっぱいの浴槽の中で、リンゼイの遺体を発見しました。解剖の結果、彼女は首を絞められたか窒息させられたと見られています。
市橋容疑者は、警察が到着したときに裸足で住居から飛び出したと報道されています。彼はいまだに逮捕されていません。
リンゼイの姉妹であるリサとルイーズは、次のように述べています。
私たちにとって、姉妹であるリンゼイは親友でもありました。彼女はいろいろな意味で特別でした。賢く、美しく、誰かを助けるためなら全てを投げ出してしまうような人でした。リンゼイは多くの人に笑顔をもたらし、彼女を知る人全てから愛されていました。

CCTVがとらえた市橋達也の写真CCTV
私たちのような他の若い世代の人々同様、彼女は世界を見てみたいと思っていました。また、何故か日本にいる方がこの国よりも安全だと感じていたようです。この国では、身近に起こりうる危険について常に気をつけるように言われており、毎年何千人もの若い人が海外へ旅行をする一方、自国にいたときの危機感を忘れてしまうようです。
リンゼイの死が少なくとも一人でも海外にいる若者の注意を喚起することができるのなら、少なくとも一つの家族を、私たちが身をもって感じている痛みや打撃、絶望から救えたのではないかと思います。
しばらくの間、娘に連絡がつかなかった後に日本から電話を受けたその瞬間に、リンゼイの母親であるジュリア・ホーカーさんは、ご主人のビルさん共々、何か深刻な問題が起きたのだと察知したと言います。
「リンゼイは仕事を休むことは一度もありませんでした。彼女はいつも夜には翌日のレッスン準備をしていました」とホーカー氏は話しています。
「ですから、彼女の捜索願が出されるまで、どうして2日もかかったのかわかりません。彼女は毎日、私たちに電話をかけたりメールを送ってきていました。」
「リンゼイは素晴らしい娘でした。彼女の外見の美しさは言うまでもありませんが、内面からの美しさがありました。」とホーカー氏は話しています。
「彼女は極めて知的で、大学も優秀な成績で卒業しました。教育を愛し、教えることも大好きでした。彼女は人生の中でとても多くの人を助けました…。彼女は私たちにとって夢であり、希望でした。」
東京は西洋化していて犯罪率が低いことから、両親ともそこへ行くように積極的に勧めたのだと彼は言っています。
リンゼイの父は、日本の報道陣に向けてこう発言しています。
「私の娘の殺害者は、貴方の国にとって恥をもたらしました。絶対に彼は捕まえられなければなりません。逃げおおせることなど許されることではありません。日本の皆さんは家族や地域社会の結びつきに重きを置いていると聞いています。父親としてお願いします。私の娘を殺害した犯人を警察が探し出すための手がかりをお持ちの方、お願いです、申し出てください。」